仙道三十三観音巡り その2 巡ってみて (2017.1)

 

 201412月から2ヶ年をかけて「仙道三十三観音」を巡った。なお、札所ごとの状況はこれまで報告してあるとおり。

 

本来なら「歩いて行き各札所では御朱印をいただく」なのだろうが、ともかく行ってみようと思い立ちどこに所在するのかもよくわからないままだったこともあり、車で訪れ御朱印もいただかなかった。

実際、仙道三十三観音は、福島県の中通り地方の北は二本松市から南は茨城県境の八溝山までという広い地域に点在しているので、歩いて回るのはかなりの準備、日数、体力、覚悟が必要である。かなり困難と思う。

 

 御朱印については、その場でいただけるのは少数である。住職がいる寺や神職がいる神社など。

第二十六番満願寺のように関山の頂上に観音堂がありその御朱印を管理するのは白河市内にある寺である場合など観音堂と管理寺が離れているところ、廃寺となり観音堂のみが残っていて御朱印もふくめて観音堂の管理は近くの集落で行っているところ、そもそも神社になっているところなど様々で、要するに当該札所にたどり着いたとしても御朱印をその場でいただけるとは限らない。

特筆すべきは第二十九番善能寺。無人の観音堂の中に御朱印とお札が置いてあった。地区の区長さんが管理していて参拝者が自主的に押していけるようにとの配慮である。

 

各札所の現況を大まかに類型化すると次のとおり。

 A 「寺の境内に観音堂」又は「寺本堂に観音像」 10か所

 寺が無住のところもある。

 B 当該地に「観音堂だけ」 19か所 

a そもそもの寺が廃寺となっていて、施設等の管理は地域の方々が行い、仏事は廃寺となった寺や檀家を引き継いだ別の場所にある寺が行っているところなど。これが多数。

  観音堂と寺は離れているが実質Aと同じだと思われるところ。

 C 「神社」又は「神社の境内に観音堂」 4か所

   明治になって神社になったところとかつての神仏習合がそのままのところ

 

上記Ba 観音堂だけがある(残っている)ところは、維持管理を地域の方々が行っているといっても集落の高齢化が進み見るからに大変なところもある。

祭礼以外はお参りに訪れる人も少なくて境内が草ぼうぼうのところ、お堂が手入れされず朽ち果てようとしているところ、賽銭箱もないところもあった。

そしてこのような集落の奥や山の中腹にひっそりと佇んでいる観音堂にかえって心惹かれ印象に残った。

 

上記B、寺はなくなったが「観音堂だけ」が残っていることをどのように考えればよいのか。

寺本堂と観音堂は(同じ境内にあっても)別の建物であったのが、寺はなくなってその地域が別な寺の檀家になっても地域の中で観音堂は維持され、観音様とのつながりは受け継がれてきた。

思うに、地域の人々の「観音信仰すなわち観音様(観音堂)とのつながり」と「寺への檀家としてのつながり」とは別の性質を持っていたのではないか。信仰の対象・象徴として、観音様(観音堂)と寺とは役割が異なる。観音信仰は寺を介さずともあったと言える。先祖を敬う檀家としての信仰とはまた別のものだったのかもしれない。

上記Aの場合でも、第二番如法寺の七日堂(観音堂)は檀家ばかりなく多くの人がお参りするし、第九番東堂山へのお参りとは本堂ではなく観音堂へ行くことである。上記C、神社になっても観音像は社殿に安置されている。

 

また、各札所の寺の宗派は真言宗、天台宗が多く、そのほか曹洞宗、臨済宗、浄土宗、本山修験宗など宗派横断である。

ただ、浄土真宗と日蓮宗はなかった。これは仙道三十三観音にはたまたまなかったのか、それとも宗派の考え方なのか誰かご教示願いたい。

 

仙道三十三観音として他の地域からお参りに訪れることについては、地域の人々も記憶が薄れてきているようだ。

個々の堂としてはきちんと管理されているところは勿論あるけれども仙道三十三観音としては正に風前の灯であるというのが正直な感想である。十数年もたてば郡山信用金庫が建てた石柱だけが残っている札所が出てくるだろう。

 

それでも仙道三十三観音を巡り訪れている人はいる。

数百年前から多くの人々がこの地を巡りそれぞれの願いをもって手を合わせたのだろう。各札所にたどり着くまでには様々な思い苦労があったろうし、現在の京都の寺社巡りのように観光もかねていたのかもしれない。

今回、近くまで行ったものの場所がわからず地元の人と思われる方に場所を尋ねたが、皆さんから親切に教えていただいた。自分たちもなかなかお参りに行かないのによく遠くから来てくれたと言われたこともある。

 

仙道三十三観音を会津三十三観音のようにもう一度光をあてることはできないものか。信仰として、史跡として、観光として。ふるさとの歴史、文化を見直すためにも。

たとえば札所巡りのルートマップの作製などはすぐにでもできるかもしれない。

 

さて、観音巡りをして私は何に対して手を合わせてきたのかと改めて考える。

何か所かは観音像に手を合わせることができたが、ほとんどは御開帳になっておらず観音像を拝顔することはできない。本当に像が安置されているのかわからないところ、明らかに観音像がない観音堂もあった。

やっとこの地に訪れることができたとの思いに感謝しつつ、観音堂の前や寺の本堂の中で、そこにいる何かに、朽ち果てようとしている空っぽの観音堂の向こうの何かに手を合わせたようだ。