福島県小野町のお寺と廃寺



小野町史によれば、小野町には以前(明治初期?までは)26の寺院があった。

現在あるのは13カ寺で、真言宗3カ寺、浄土宗4カ寺、臨済宗1カ寺、曹洞宗5カ寺である。13カ寺が廃寺となったことになる。



伝承によると、現存の13カ寺のうちの5カ寺は室町時代の中ごろまでに開山され、8カ寺は室町時代末期の開山である。特に天正年間には5カ寺が開山されたとのこと。



現在ある寺院

真言宗

 菩提山極楽寺 大字皮篭石字漆平83

 無量山光明寺 大字夏井字町屋30 

 医王山東光寺 大字飯豊字寺下75

浄土宗

 東堂山満福寺 大字小戸神字日向128

 光明山無量寺 大字小野赤沼字寺前65

一庭山松緑寺 大字上羽出庭字東前65

 小野山専光寺 大字小野新町字館廻87

臨済宗

 牧牛山普賢寺 大字小野新町字丹後坂4

曹洞宗

 吉西山保泉寺 大字小野新町字寺下103

 金峰山月叟寺 大字浮金字越野367

 電光山雲林寺 大字夏井字寺谷津作134

 源松山洞円寺 大字飯豊字堂ノ脇55

 霊亀山吉祥院 大字吉野辺字仲神147



 次に廃寺であるが、

真言宗の極楽寺の末寺だった永蔵寺(菖蒲谷)常光院(雁股田)正福寺(谷津作)来迎寺(湯沢)東性寺(塩庭)善能寺(上羽出庭)円楽寺(小野新町寺下)の7カ寺、および臨済宗普賢寺の末寺だった観音寺(谷津作)大伝寺(雁股田)の2カ寺が廃寺になったとされる。計9ヵ寺。

そのほか飯豊の愛宕大権現は廃仏毀釈により飯豊神社に改名したとされる。計10ヵ寺。

また、小野町史資料編Ⅰの「天明8年5月御巡見使御案内帳」に存在が記載されているが現存していない寺院は

普賢寺境内境司浄瑠庵、

天台宗篁山矢大神別当一乗院

天台宗立鉾山塩釜明神別当満蔵院

の計3寺がある。

なお、上記真言宗円楽寺(小野新町寺下)は若宮山若宮八幡別当と記されている。



 以上廃寺の数は計算上13ヵ寺になったが個別寺院名についてはもっと別の資料等があればご教示願いたい。



開山から現在に至るまでそれぞれの寺の歴史は様々である。移転、改宗、無住、焼失、中興などを経て現在に至る。

たとえば、極楽寺は開基が坂上田村麻呂になっていて町の寺院のなかでは一番古いとされているが、開山当時は現在の田村市神俣にあり、小野山神、皮篭石を経て現在地に移ったとされる。

満福寺は、やはり坂上田村麻呂が大同2年(802)法相宗徳一を勧請して開山したが室町後期に浄土宗の高僧良拾が住職となり中興、改宗したとされる。

普賢寺は南北朝時代の1350年頃の開山と伝えられ、以前は田村市滝根町広瀬の貝谷にあった。天台系統だったとも言われる。その後臨済宗に改宗し慶長10年(1605)現在地に移転したとされる。



 廃寺になった大きな理由は小野町史に記されているように明治元年の神仏分離令による廃仏毀釈である。次の4寺は明確だろう。

飯豊の愛宕大権現

天台宗篁山矢大神別当一乗院

天台宗立鉾山塩釜明神別当満蔵院

真言宗円楽寺

随分荒っぽいことをしたものである。神仏混淆が当たり前のなかで明治政府の方針が地方津々浦々まで及んだのはなぜなのか、それほど神道の影響が強かったということだったのか。



寺も神社も地域の人々の歴史、営みとともにある。地域の檀家、氏子が豊かであり、信仰厚ければ寺も神社も立派になり長く伝えられる。神も仏も人とともにある。限界集落といわれるところの寺、お堂、神社、祠が朽ち果てていくのはなんともやりきれない。

寺や神社は地域の歴史であり文化である。住職さん、神主さん、もっと矜持をもって人々に寄り添ってほしい。朝のお勤めの読経が聞こえ、本堂に行けばいつでもご本尊に手を合わせることができるようにしてほしい。